澄み渡る紋別の空気が余命5年の私を蘇らせてくれた!

北海道紋別市

澄み渡る紋別の空気が余命5年の私を蘇らせてくれた!

移住者プロフィール

渡邊

移住時期
2005年

出身地:東京都、前住所:北海道北見市、現住所:北海道紋別市、職業:レストラン「チコリ」オーナー

移住時期
2005年

出身地:東京都、前住所:北海道北見市、現住所:北海道紋別市、職業:レストラン「チコリ」オーナー

東京で生まれ育った渡邊彬さんの人生は、試練の連続でした。肺を患い余命5年と宣告され“いっそ死ぬならば”と夢だった農業を求めて北海道へ。道内で2度の移住や、自宅が火災で全焼する不運に見舞われながらも、2005年に紋別市で手作りレストラン「チコリ」を開業し、人生の再出発を果たしました。そんな渡邊さんにお話を伺いました。

紋別へ移住するまでの経緯を教えてください

渡邊彬さん(以下、渡邊)紋別にたどり着くまでの人生は、試練の連続でした。高校卒業後は飛行機の整備士になり、スナックや喫茶店の経営もしましたが、知人の負債を被ったためタクシー運転手として2年間働き約600万円の借金を返済した苦い経験もあります。

弟と始めた建築設備の仕事で、排気ダクトの交換時に大量のガラスの粉を吸い続けた影響で肺を患い「このまま続ければ余命は5年」と言われたのが、北海道移住のきっかけです。それならばと一大決心をして、知人を頼りに農業を始めるために北見市へ移住。家族を残しての一人旅でした。

百姓をするには、田畑を買う資金が必要。当初は、東京の自宅を売却して工面する予定でしたが、バブルの崩壊や、田畑の値段が予想以上に高かった現実などから、思うように事が運ばなかったですね。

でも諦めなかったんですね

渡邊そんな中、アルバイトで訪れた滝上町の土地の値段などを調べた結果「これならばできる」と、家族を呼び寄せて移り住みました。しかし、順風満帆とはいかず、収入を冬の出稼ぎで補う生活が10年ほど続きました。

そんな生活に「なんのために北海道へ来たのか分からない」と思い、自家製有機野菜を使ったレストランも始めました。しかし、そこで自宅が火災に遭う不運に見舞われました。

年齢から無理をすることもできず、生きていくためにやむなく畑を売却しました。レストランを始めるには土地勘がなければ厳しいと分かり、隣町である紋別の渚滑へ移住し、4年掛かりでレストランを作り上げ再スタートを果たしました。

一刻も早くオープンしなければ、食いつなぐことができない。本当に必死でしたよ。忙しい毎日の中で、休日に読書を楽しみながら眺めるオホーツク海の景色が最高なんです。

紋別に移り住んでよかった点を教えてください

渡邊北海道が好きなので“内地”に帰る気はないですね。都会では人の背中を見て歩くことになり、土を探しても見つからないでしょう。20年ほど北海道に住んで余命5年の命が20年以上も長引いたんです。

健康になったということなのかな。こちらに暮らすようになり、東京で水を飲むとお腹を下すんですよ。

移住を検討している方にメッセージをお願いします

渡邊移住を希望する人は、考えるより思い切ってまず来て、それから考えたほうがいい。そのためには地域に受け皿があることが必要ですね。人生、そんなにドラマはないと思っています。

人生は人と人とのつながりを重ねることが大事です。自分だっていつ死ぬのか分からないんだし、せっかく紋別に来たのだから、今日一日を大切にしたいと思っています。

出典: 澄み渡る空気が 余命5年の私を蘇らせた

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紋別市はオホーツク海沿岸の中央に位置し、地震や台風の影響をほとんど受けない安心して暮らせるまちです。夏は冷涼、冬も北海道の内陸部と比べると積雪量も少なく、極端に寒くなる日も多くありません。また、冬には流氷が訪れ、気温と海水温の温度差によって生じる四角い太陽が見られる神秘的な地域である一方、カニやホタテなど豊富な海産物にも恵まれ年間50万人の観光客が訪れる賑やかなまちです。

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