本当の意味での豊かさを教えてくれた紋別市で第二の人生を

体験談

<blockquote> 名古屋市出身の北原祐貴子さんは、2007年7月にご主人の赴任先である香港から、北海道紋別市に移住をしました。香港でご家族揃っての生活を送っていましたが、祐貴子さんの持病の喘息が悪化。時を同じくして、ご子息にも病気治療が必要となるという事態に直面します。これらの出来事がきっかけとなり、“家族がゆっくりと過ごせる場所”を求め、移住を決断します。現在は、ご家族揃って安心して暮らせる場所を探すべく一足早く祐貴子さんが紋別市に入り、愛犬ラッキーと共に生活基盤を固めているところだそう。移住後、嘘のように喘息発作がなくなり、『第二の人生』に想いを馳せているという北原さんに、紋別市での暮らしについてお話を伺いました。

移住を考えるきっかけとなった出来事を教えてください

北原祐貴子さん(以下、北原)私は、夫と長男の3人家族です。夫は、山一證券の香港法人の役員でした。山一證券が自主廃業し、コアパシフィック法人の傘下になったのですが、その後も勤務が続いています。家族一緒に生活していましたが、私の持病の喘息が悪化してしまいました。

経済発展している中国からの大気汚染の影響かもしれません。私だけでなく、息子も一時病気を患ってしまい、その治療に4年程かかりました。これらの出来事が、家族がゆっくり過ごせる場所を探そうとするきっかけになりました。

ゆっくりとした生活をすれば、身体の弱い息子も元気になるんじゃないかと思って。さらに転勤族の息子にとって、故郷と呼べる場所がないことも気がかりだったので、それもきっかけのひとつにもなりました。

移住先に紋別市を選んだ理由を教えてください

北原ずっと思い続けた移住のチャンスは、2006年に入りやってきました。永住の地を求めて熊本や釧路にも足を運びましたが、熊本では台風の傷跡を目の当たりにし、災害が多いことを思い知らされました。釧路でも縁がなく、永住の機会を逃しました。そんな時に見つけたのが紋別でした。

“災害の少なさ”が決め手となり、市郊外に山も購入しました。後々、農業を営みながら生活するのが夢にもなりましたが、あとで話を聞いてみると「そこは“クマのマンション”だった」と苦笑いしたんですよ(笑)

紋別ではどんな暮らしを送りたいですか?

北原たくさんは稼げなくてもいいんです。少しだけお金を稼ぎながら、ゆっくりとした生活を送りたいです。今後は、上渚滑(かみしょこつ)に購入した山間部で、ゆっくりと農業を営むのが夢です。

簡単ではないと思うけれど、農業に従事してお金を稼いで生活するのが、『第二の人生』の希望ですね。愛犬ラッキーと田舎暮らしを満喫しながら、夢を広げています。

現在は、住居探しに奔走されているそうですね?

北原50歳くらいから準備を始めれば、絶対に間に合うはずと決めた今回の移住ですが、今はまだ仮住まいのため、住居探しに奔走しています。いよいよ来年からは、息子との生活が始まります。

夫も定年後に紋別へ移住する予定です。都会よりも田舎のほうが、「正しいことは正しい。当たり前が当たり前」そんな気がするんです。都会で子育てするには鍛え上げないといけないけど、田舎ではそんなことは必要がない気がしています。

紋別の素晴らしいところは?

北原商社勤務の娘として世界各国に在住した経験がありますが、家の蛇口からおいしい飲み水が出るのは素晴らしいことなんです。空気もおいしい。人々の懐の深さも魅力でした。紋別には、地元の人も気づかない「豊かさ」がいっぱいあります。

出典: かけがえのない豊かさが 魅力ですよね

北海道

紋別市

mombetsu

紋別市はオホーツク海沿岸の中央に位置し、地震や台風の影響をほとんど受けない安心して暮らせるまちです。夏は冷涼、冬も北海道の内陸部と比べると積雪量も少なく、極端に寒くなる日も多くありません。また、冬には流氷が訪れ、気温と海水温の温度差によって生じる四角い太陽が見られる神秘的な地域である一方、カニやホタテなど豊富な海産物にも恵まれ年間50万人の観光客が訪れる賑やかなまちです。

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