北海道紋別市
移住が人生の転機に!紋別の地域に溶け込む暮らし
移住者プロフィール
吉川智一郎
- 移住時期
- 1994年
出身地:大阪府、前住所:大阪府高槻市、現住所:北海道紋別市、職業:会社員・「移住者の会」代表
- 移住時期
- 1994年
出身地:大阪府、前住所:大阪府高槻市、現住所:北海道紋別市、職業:会社員・「移住者の会」代表
移住する前の生活について教えてください
吉川智一郎さん(以下、吉川):私が生まれ育ったのは、大阪と京都のほぼ中間に位置する高槻市です。大学は京都に、就職も関西以外への転勤がない会社を選びました。
特に地元に愛着があったわけではありませんが、大阪も都会なので東京に出る気は全く無く、ましてや地方で暮らすなど考えもしなかったですね。
移住について検討し始めたきっかけを教えてください
吉川:心境の変化が訪れたのは、社会人5年目のことでした。前年に妻と結婚しましたが、勤めていた外資系食品メーカーを辞めました。今思えば現実逃避もありますが、自分自身や社会に対して、漠然とした不満や不安を感じ出したんです。心が満たされない日々でした。何かが欠けていると感じていました。
そんな中、マイカーでの北海道旅行を思い立ちました。行き先は決めずに、約1ヶ月半かけて道内のほぼ全域を回りました。主に泊まったのが、「旅人宿」と呼ばれる安宿でした。
宿主は大抵が移住者で、他の旅人たちとも夜遅くまで夢や将来のことなどを語り合いました。知人の紹介で訪ねた漁師宅や酪農家では、予期せぬ歓待を受けて感激しつつ、厳しい自然環境と対峙して暮らす生活の一端を垣間見ました。
博物館で出会ったアイヌのおばさんには、「ふらふらしてないで、もっとしっかり生きなさい」とたしなめられたが、嬉しくもありました。
そんな数々の場面に遭遇し、北海道の懐の深さを感じました。紋別では、知人に紹介された農家に泊めてもらいました。そこで「何もしていないなら、いっそ紋別へ来たらどうだ」と誘われました。
その一声がきっかけとなったのですね
吉川:旅に出る前の自分なら冗談として受け流したでしょうが、旅で感じることが多々あっただけに、違う人生を選ぶチャンスだと直感して真剣に考えました。妻の庸子と話し合って、大阪へ戻る前には行くと決めました。
移住後の仕事・住まいについて教えてください
吉川:紹介された地元の新聞社に就職し、記者と営業を経験する中で人脈が広がり、町おこしやボランティアなどの様々なグループに関わるようになりました。合唱団、エッセイ倶楽部といった文化活動にも参加しており、忙しい日々を過ごしています。
住まいは、市街地から約10キロほどの、隣町の湧別町寄りにある小向地区。移住当初は離農跡地を借りていましたが、5年前に思い切って同地区に新居を建てました。長女と長男もこの地で授かりました。
子供たちにとっては、大阪でなくここが故郷。小向の人に仲間として迎えてもらったことが、紋別で生きていく上で大きな心の支えになりました。結局は、自分が必要とされる場所を探していたのかもしれませんね。
実は、大阪時代よりも仕事や会合などに費やす時間が大幅に増えて、のんびり田舎暮らしを楽しむ境地には至ってませんが、今はそれでいいと思っています。