移住者プロフィール
谷口 史朗さん
出身地:京都府宇治市、前住所:京都府宇治市、現住所:兵庫県洲本市、職業:原木椎茸農家
目次
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農家になるきっかけとなった家族と家庭菜園
地方移住を検討している人の中には、将来的に自然に囲まれながら農的な暮らしをしてみたいと考える方もいるのではないだろうか。都市部での会社員生活から、移住して畑仕事をするようになった谷口さん。「農家になりたい」という価値観がどのように醸成され、移住するまでに至ったのか、経緯について伺った。
家庭菜園を楽しむ家庭環境で野菜作りの楽しさを感じた少年時代
お父様の転勤で幼少期から全国各地を移り住んでいたという谷口さん。
「国家公務員の父、パートの母、姉が2人いる家族でした。父が転勤族で小学校3年生頃まではいろいろと住む場所が変わりましたね」
その後はお姉さまの受験を機に、お祖母様の家もある京都府宇治市に長く住まわれたそうだ。
「農家になりたいと思ったきっかけで1番大きいのは、家庭菜園だったと思います。身近なところで新鮮な野菜を食べる機会があったし、鮮明に覚えています」
転勤先では、官舎の近くにある敷地でお父様が夏野菜を作って育てていたそうだ。また、お祖母様の家の畑では旬の野菜を収穫していたという。
「旬の時期になったら生っているトマトを採って食べてから、友達と遊びに行ったりしていましたね。だから、土いじりをしたり、作物を育てたりするのに全く抵抗はなかったです」
小さな頃から野菜作りの過程を見て育ち、自然の恵みを得る体験をしていたことが、後の進む農家の道へのルーツになっているようだった。
自分で自分の進む道を考える家庭に育つ
「あまり人生に両親が干渉してくることがなかったんですよね。良くも悪くも全部自分に任されている感じではありました」
学生時代に進路を決める時も、就職で親元を離れる時も、ご両親は口を挟むことなく谷口さんを送り出したそうだ。会社を辞めて移住することも、決断後にご両親へ伝えたのだとか。
自分の進むべき道を自分で考えることは、意外と難しい。両親の干渉がなく、のびのびとした家庭環境の中で育った谷口さん。
常に自分で考えて進む道を選択してきたからこそ、これまでの人生に1つの軸が通っているように感じるのだろう。
移住先とのご縁となった学生時代の地域活動
谷口さんが移住した洲本市とは、大学生の頃からの付き合いがあったそうだ。
洲本市では、総務省が提唱する「域学連携」地域づくり活動に取り組んでおり、これらの活動がきっかけだったという。
「大学2回生の頃に、地域づくり活動の課外活動に参加しました。学生の視点から地域の魅力発見を行って、地域の方へ提案する1か月間の合宿があったんです。そこで仲間たちと一緒に、熱量高く地域に関わったのが大きな経験でした」
地域活動を通じて、信頼できる仲間ができたと語る谷口さん。その後は仲間と共に学生団体を立ち上げ、継続的に地域での活動を継続したそうだ。
学生時代の課外活動をきっかけに仲間と地域とのつながりが、社会人になった後も続いていたことで移住につながったのだろう
会社を辞めて地域で生きると決断するまで
大学卒業後、谷口さんは、大阪に本社があるパッケージ会社に勤めた。
「正直、就職する企業はどこでも良かったのです(笑) 会社員自体はどこかのタイミングで絶対辞めようと思っていたので、今後に生かせるように合理的な会社を選びました」
パッケージ会社に就職を決めたのは、いろいろな業界をみることができるからだったそうだ。
「パッケージは各業界の動向がよく分かるんですよね。パッケージがよく売れている業界や会社は”勢いがある”と言われていて、世の中の動向がパッケージから読み取れるのが面白かったです」
パッケージ会社での経験は、農家として活動をする今、自社商品のパッケージ作りにも生かせているという。その後、会社員3年目の12月頃に退職し、新たな道を歩み始めた。
「会社で働いている時も、今後進むべき道をずっと探していましたね。当時は林業にも興味があって調べていたこともありましたが、最終的には一次産業に携わりたいと考えていました」
農業に関わる機会を伺っていたところ、地縁のあった洲本市の地域おこし協力隊の募集を知り、検討を始めたそうだ。その後は、とんとん拍子に地域おこし協力隊としての移住が進んだと語る。
新しい道への希望の光が差し込む一方で、慣れ親しんだ土地を離れ、新しい環境に飛び込むことに不安はなかったのだろうか。
「当時はそこまで後先のことを考えていたわけではなかったですね(笑) 明日の生活が回らないほど追い詰められなければ、地元(京都)にも帰れる場所はあったと思いますし...。よくも悪くも、逃げ道を作ってきた感じはありますね。
25歳で退職して、地域おこし協力隊の3年間で仮に失敗したとしても、まだ自分は28歳。再就職の道も十分あったと思うので、後先考えずに飛び込むことができんだと思います」
転職を伴う移住では、生活基盤がガラリと変わる可能性が大いにある。
移住に伴って新たな挑戦をするなら、谷口さんのように撤退できる場所や環境がある状態が望ましいと言えるだろう。また、タイミングや若さといった「主観的な要素」を不安要素と捉えるか、失敗してもやり直せると捉えるか、捉え方の1つの参考にしてみても良いかもしれない。
地域おこし協力隊として洲本市へ移住
2019年の6月、谷口さんは洲本市の地域おこし協力隊に着任した。谷口さんの主なミッションは「地域コミュニティの運営」や「関係人口の創出」、そして「地域資源の利活用」だ。
3年後を見据えて仕事の種をまく
地域おこし協力隊は自治体の実情に合わせ、さまざまな形式で採用される。
谷口さんの場合は、市と雇用関係を結ばない「個人事業主型」の業務委託契約で着任したそうだ。
「ミッションそのものは割と抽象的で、今後の自分の仕事につながるようなことをミッションとしてお仕事をさせてもらいました」
大学生の頃から関わり続けた地縁のある集落へ、地域おこし協力隊として改めて関わり始めた谷口さん。その集落の地域資源の掘り起こしやお米のブランディングの他、原木椎茸栽培の事業承継を果たしたそうだ。
地域おこし協力隊は最大3年間活動期間があるものの、任期終了後の生活が保証されているわけではない。その土地で自活できる力をつけ、定住につながることが隊員にとっても地域にとっても望ましい姿だろう。
谷口さんの場合は「地域にとって必要なこと」と「自身の事業にとって必要なこと」が重なる領域をミッションに落とし込み、うまく地域おこし協力隊制度を活用できた事例と言える。
積極的な地域との関わりの結果、1年目から新規就農に必要な土地や農機具の手配まで、多くの支援が得られたと語る。
新規就農までの流れと苦労
将来的に一次産業に携わりたいと考えていた谷口さん。
「1番最初は『棚田』の有効活用をしていきたいと思っていたので、イチジクの生産を企てていたことがありましたが、早々に諦めました」
耕作放棄地として放置されている棚田を活用し、地域資源の活用をしながら生産活動ができる方法を検討していたそうだ。しかし、実際に地主さんやイチジク農家さんに話を聞いていくと、現実的には課題が山積していることが見えたそうだ。
「水田である棚田に『樹木』を植えて育てていくには”条件不利地”過ぎたんですよね。当時検討していたイチジクは比較的育てやすい樹木ではあるものの、実際やろうとすると収穫作業時の効率や排水などに対する設備投資がかかりすぎることが分かったんです」
新規就農時には「何を作るか」も大切であるが、それと同じくらい「どこで作るか」も大事な要素だ。
自分の作りたい農産物がその場所に向いているか、実際に自分の目でみて土地を確かめ、近隣の住民や頼れる先輩農家の方から助言がもらえるかどうかが重要なことが分かる。
その後はひとまず玉ねぎやレタスなど、別の農作物の生産に舵を切ったそうだ。
「学生時代から通っていた集落だったので、その地域のキーマンの方に紹介してもらいながら、土地やトラクターなどの農機具も、全て貸していただきました」
現在1ヘクタール程の土地を借りながら、玉ねぎやレタスなどの野菜を作り、生計を立てていると語る。
新規就農時に障壁となる「土地」や「高額な農機具」などは、地域おこし協力隊になる前から関わり続けた地域住民との信頼のおかげで、すぐに手にすることができたそうだ。
谷口さんのように、移住前からその地域の方との関係性を紡ぐことで、移住後の生活も幸先よくスタートを切れるのではないだろうか。
洲本市に移住してよかったこと
洲本市は兵庫県南部に位置しており、神戸市街地からは高速バスで1時間半ほどと都市部との距離もそこまで離れていない。また、洲本市内も生活に必要なスーパーやホームセンター、医療、行政、学校などの生活拠点が中心市街地にコンパクトに集まっているのが特徴だ。
「いい意味でも悪い意味でも、都市部と同じ暮らしができてますね。僕自身、農業に携わりたいとは思っていたものの、田舎暮らしでスローライフをしたいという感じではなかったので(笑) 」
中心市街地から海も山も近く、自然の豊かさと便利さを両立できる街と言える。谷口さんのいう通り、市街地周辺に住めば地方都市と変わらぬ生活ができるだろう。
廃業していた地域資源を事業承継して、地域と共に成長を
昨今、経営者の高齢化が進むも、後継者不足の問題によって廃業が進む傾向にある。
中小企業庁のデータによると、2014年から2020年にかけて廃業件数が増加する中、6割が黒字にもかかわらず廃業している。そして、廃業理由の3割が後継者難と言われている。
上記が深刻な問題である一方、これから移住をして地方で挑戦したいと考えている方にとっては、見方を変えればチャンスとも捉えることができるだろう。
地域おこし協力隊を経て、途絶えていた地域資源を事業承継した谷口さんに詳しく伺った。
40年余り続いた地域資源「原木椎茸」の事業承継の流れとは
大学生の頃から地域と関わりがあった谷口さん。その頃は、農園の先代が原木での椎茸栽培を続けていたが、谷口さんが移住してきた2019年には高齢化を理由に既に廃業していたという。
「当時は勉強のフィールドとして農園にお邪魔して、椎茸ステーキを食べさせてもらったりしたので、原木椎茸の印象は強かったです。移住した後、それが廃業していたのを知って驚きはありました」
一方、移住後に自分の事業の柱になるような「ブランディングできる作物」を作りたいとも考えていたと語る。そんな中、地域活動を通じて先代の心の声が漏れてきたのに気づいたそうだ。
「継続的に関わっていく中で、先代が『原木椎茸の事業は経験もある。設備もある。ノウハウもある。全部あるから、やりたい人がいればぜひやって欲しい』と度々口にしていたので、そこで手を挙げたのが始まりです」
しかし、既に廃業状態だったとは言え、二つ返事で事業を継いだわけではなかったという。丸一年の間、先代に付き添い、原木椎茸栽培に必要な作業を勉強した谷口さん。
その後は継業に対する姿勢を認められ、晴れて事業承継に至った。
「ノウハウ」が借りられるだけではない。精神的な安心感も得られる事業承継
事業承継によるメリットはたくさんあるものの、実際に事業を継いだ谷口さんはどう感じていたのだろうか。
「一番のメリットは経験則に基づくノウハウですね。そしてその場所で栽培するのに最適化された設備。それをそのままお借りしてスタートできるのは、まず他にない好条件だと思っています」
椎茸は、おがくずなどで作れられた”菌床”に菌を植えつけ、温度管理された環境で育てる「菌床椎茸」栽培と、クヌギやコナラなどを切り出した原木に菌を植えつけ、自然の中で育てる「原木椎茸」栽培があるそうだ。
前者の菌床椎茸は例えるならば”工業製品”で、後者の原木椎茸は”伝統工芸品”に近い栽培方法だという。
「原木椎茸は菌を打ち込んでから椎茸ができるまで、2年くらいかかるんです。自然の中で”椎茸菌”という、目に見えないものを相手にするとなると、長年の経験則に基づくノウハウが重要なので、助言がいただけるのはありがたいですね。
原木に菌が回っているかどうかは、素人がパッとみても判断がつかないんです。でも先代に聞けば『これは大丈夫やなぁ』と言ってもらえる。そうした一言ってやっぱり安心するので、精神衛生上もいいですね」
一般的な起業にせよ新規就農にせよ、サービスや農作物のような商品を作るには試行錯誤が必要だ。その試行錯誤の過程には、本来数多くの失敗と工夫の繰り返しに膨大な時間をかける必要があるだろう。
事業を進める時には自分がしている作業が正しいのか、この先ちゃんと実るのか、見えない不安に駆られる時があるはずだ。事業承継では、事業開始に必要なノウハウや設備などの表面的なメリットだけでなく、先代の存在が事業承継後に精神的な支えになることもポイントと言えるだろう。
先代と良好な関係をつくるコミュニケーションのコツとは
一方、事業承継でよくある悩みにあがるのは「先代との関係性」の問題だ。先代と良好な人間関係が築けないと、過干渉やトラブルにつながるケースもある。
谷口さんに、事業承継の過程で意識していることを語ってもらった。
「先代とのコミュニケーションはやっぱり気を遣いますよね。僕自身、段階を踏みながら先代も巻き込んで事業を進めていくようにしています。状況にもよりますが、譲渡する側は割と『あなたに継いだのだから好きにしてくれていい』って気持ちではあると思うんです。だからこそ事業譲渡していると思うので。
でも、そこであまりに自分本位に進めてしまうと『一声くらいかけて欲しかった』『そこだけは変えて欲しくなかった』と感じるのが人間の性だと思うので、一緒にお話しながらお伺いを立てるようにしていますね。『そんなこと気にせず、好きにしてね』と言われるのが理想です」
事業を継ぐものとしては、これまでの先代の思いや背景に寄り添うことが大切なのだろう。そうして段階を踏みながら信頼を得ることで、良好な関係が出来上がっていくはずだ。
また信頼してもらうためには、過去の背景に寄り添うだけでなく、事業承継した後のビジョン=将来の方向性や計画を併せて提示すると、先代も安心して事業を譲渡できると話してくれた。
地域で、地域と共に生きる豊かさを目指す
移住後に農家の道に歩みを進め、原木椎茸栽培を事業承継して新たな挑戦をしている谷口さんに、今後の展望を伺った。
稀少な「原木椎茸」事業を新たな形でリブランディング
「当面は原木の本数を増やして、生産量を増やしていきたいですね。春と秋には観光農園での椎茸狩り体験を開催して、地域に訪れるきっかけにしてもらいながら、椎茸そのものを楽しんでもらいたいと考えています。後は、椎茸を使った『お出汁』や地域の飲食店さんと連携した『椎茸チップス』などの商品開発も進めているので、リリースまでしっかり頑張りたいです」
原木椎茸は菌を植えつけてから収穫できるまで2年間がかかり、菌床となる原木そのものの調達も重労働で大変だ。しかし、自然の中で育つ椎茸は肉厚で香り高く、菌床椎茸とは一線を画す。
事業承継によって地域に「椎茸狩り体験」というコンテンツが加わり、賑わいも生まれているのだそう。
地域と共に成長していく谷口さんの活動に、今後も注目していきたい。
地方での挑戦に事業承継という選択肢
最後に、これから地方で新たな挑戦を目指す方へメッセージをお願いしたところ、事業承継を考える方向けに具体的なポイントを語ってくれた。
「事業承継は、設備面やノウハウ面、先代についているお客さまや販路などを一挙に得られるという意味では、素晴らしい方法の1つだと思います。小さく始めるのにも向いていますし、そういう形で何かを始めたい人にはオススメの手段です」
また、背中を押すだけでなく注意点についても続けて話してくれた。
「自分本位になりすぎないよう、事業の承継の仕方に気をつけたいところですよね。先代もそうですし、先代についているお客さんも見ながら、段階的に進めていくことが大事だと思います」
事業承継は0から1を作るような起業に比べ、設備やノウハウを持って有利な条件でスタートできる場合が多い。一方で、先代との対人関係に悩む跡継ぎ経営者も大勢いるのが現実である。
一長一短ある事業承継であるが、地方での挑戦という観点で言えば、承継した事業を通じて得られる人脈は大きな財産になるだろう。先代をはじめ仕入先や販売店、そして既存のお客さままで、既存の関係者の人脈の輪に「事業承継者」として入れるのは大きい。
都市部に比べて「人とのつながり」が重んじられる地方で挑戦するなら、事業承継という選択肢まで広げて考えてみても良いのではないだろうか。