移住者プロフィール
保坂さん
家族構成…ご夫婦、お子さん どこから移住しましたか…東京→長野→茨城→千葉 移住して何年ですか…7年 移住前のお仕事…おでんや和楽志 移住後のお仕事…農園和楽志
妊娠を機に閉店を決意
「おでん屋の仕事は楽しかったです。お酒も大好きでしたし」
保坂さんご夫妻が切り盛りしていた「おでんや和楽志」は、東京都の三軒茶屋にありました。
三軒茶屋駅にも近く、今も残る店舗のページには、細やかな配慮と天然のだしからつくるおでんを評価するコメントが並んでいます。
昼の15時から深夜3時まで働き、その後、他の店で夕食。
昼夜は逆転し、プライベートの時間は限られていたと言います。
転機は保坂さんが40歳の時。
奥様が長子を妊娠しました。
「子供との時間がとれないと思ったんです。それに今楽しくて、50歳まで楽しいだろうけど、60歳過ぎてもお店をやっているイメージがわかなくて。それなら、力のある40代で仕事を変えようと思いました」
地方移住を決意した保坂さんご夫妻は、東京都の有楽町にある「ふるさと回帰支援センター※」に通い、移住先を探します。
※ふるさと回帰支援センター…47都道府県の窓口・相談員がそろう、移住相談センター。
この時の夢は「自分が作った野菜で料理をふるまうゲストハウス」。
保坂さんが元々山梨の出身だったこともあり、親近感のある長野県安曇野(あずみの)市に移住を決めます。
保坂さんはリフォーム会社で働くことになりました。
「この時は、仕事は単にお金を稼ぐ手段だと思っていました。」
お子さんも生まれ、家族3人での地方暮らしがスタート。
しかし3年後、思いもよらぬことが起きます。
病を機に再度移住
お子さんが3歳になる年、奥様に乳がんが見つかったのです。
移住した長野で、闘病しながらの子育て。
支援をお願いできそうな友人達は家が遠く、山梨の母親も高齢で頼れる状況ではありませんでした。
そこで保坂さんは、決断をします。
「奥さんの実家、銚子市がある千葉県に移住しよう」
2度目の移住。
職場に退職届を出そうとした保坂さんに、会社から意外な提案がありました。
「ファミリー会社のレストランが、銚子市の隣の茨城県神栖市にあるから、そこに異動すればいい」
家族のため。
一家は神栖市に移住し、保坂さんはレストランで働き始めます。
「生きるために仕事は必要。すごくありがたい話でした。でも、何か違うと感じたんです。これは、自分がやりたいことではない。今、やりたいことやらないと、自分は一生それを奥さんのせいにしてしまうと思ったんです」
保坂さんはレストランを辞め、千葉県でゲストハウスを始めようと決心します。
3度目の移住でした。
千葉県についてはほとんど知らなかったため、保坂さん一家は千葉県中のゲストハウスを周り、様々な役所を訪ね移住の相談をしました。
色々聞いてまわると色々な意見があり、聞けば聞くほど移住先を決められなくなったと言います。
そんな旅の折にふと立ち寄った千葉県香取市の「道の駅くりもと」。
敷地内にある遊具で、お子さんが楽しそうに遊んでいる姿を見て、
「この子がこんなに楽しそうに遊んでいるんだから、”くりもと”に移住しよう」
と思ったそうです。
くりもとはどこ?
移住先は「くりもと」。
保坂さん一家は栗源(くりもと)が、千葉県香取市であることを初めて知りました。
今でこそ365日の移住相談窓口や様々な移住支援がある香取市ですが、当時はほとんど移住に興味がない自治体だったと言います。
夢の実現のためには保坂さんは一から農業を学ぶ必要がありましたが、当時は新規就農者へのまとまった支援情報も見当たりませんでした。
わずかでも手がかりを得ようと検索したネットで、「アースデーマーケット代々木」に隣の多古町の米農家さんが来ることを知ります。
藁をもすがる思いで多古町の米農家さんに「栗源で農業の勉強をしたい。無農薬栽培がやりたい」と話したところ、アースデーマーケット代々木に出店している山武市の農家さんを紹介されます。
その農家さんに紹介されたのが、千葉県香取市の栗源地区にある「加瀬農園」さんでした。
面白過ぎた農業
加瀬農園さんは有機栽培で全国的に有名な農家さんで、特に有名なのが人参です。
25年以上の歳月をかけこだわった土づくりで、その土から採れる人参はココナツミルクのような甘さがあります。
保坂さんは神栖市から香取市の加瀬農園さんへ通い研修を重ねました。
新規就農者への支援制度としては、農林水産省による「認定新規就農者制度」があります。
この支援を受けるためには、45歳までに独立しなければなりません。
保坂さんは加瀬さんご一家の支援を受けながら、香取市内に移住できる家を見つけ、50アールの農地※を確保しました。
※当時は農家になるために50アールの農地が必要だった。現在は10アール。
研修開始から1年半、保坂さんが45歳になるぎりぎりのタイミングでした。
こうして、「農園和楽志」が誕生したのです。
独立し、真面目に農業をやると次々と農地の貸し手が現れました。
農業が楽しくて楽しくて、ゲストハウスへの気持ちはだんたんと薄れていきました。
「露地栽培って、マニュアルが作りづらいんです。それが面白くて」
今では年間70品目程度の野菜をつくり、宅配で販売しています。
就農7年目にしてようやく、年間を通して収穫が途切れないように作り続けられるようになりました。
「畑いじりをしたい人は栗源向きだと思います。長野のように雪がないから、四季を通して畑作ができるし、地域になじめば多くの先輩からアドバイスがもらえます」
食卓の野菜自給率100%もできるようになりました。
奥様の乳がんもホルモン療法を続け、すっかり元気とのことです。
日々自然に触れ、身体を動かすことで快調とのこと。
「子育てもしやすいです。人があったかくて素敵なところだと思います」
コミュニケーション力が豊かさの鍵
保坂さんご夫妻に、移住者が地方になじむ方法を聞いてみました。
「地元の集まりに飛び込んで仲良くなる、コミュニケーション能力が必要かな」
保坂さんは地区の集まりや草刈り、消防団に参加することで顔が広くなり、信用を得ていったそうです。
一度関係が構築されると、地元の人が小さい農地をまとめて借りる交渉を代わりにやってくれたこともあるそう。
向かいの家の方が市役所の職員で、保坂さんが動きやすいように手助けをしてくれたことも大きいと言います。
奥様も月1-2回は香取市佐原地区のマルシェで野菜を販売し、新しい顧客や同業者のつながりをつくっています。
では、香取市に移住して驚いたことは?
「明かりがないと夜暗くて歩けないことかな。それから、ポストに要らないチラシが入らないこと。香取市でも佐原地区は宅配ピザとかあるけど、栗源地区には来ないかな」
確かに、地方ならではですね。では今後の目標は?
「お客さんとのコミュニケーションをもっとやりたいと思っています。お客さん専用のゲストハウスとか。子供が大きくなったら、東京のマルシェに出したいと思います」
そうですね。
もしかしたら、東京のマルシェで誰かが以前の保坂さんのように「栗源で農業の勉強をしたい」と相談にくるかも知れません。
お二人の笑顔が、移住を夢見る人たちの道しるべになると思います。
<店舗情報>
『農園和楽志』
場所:千葉県香取市沢1853-1
HP
https://noenwagakushi.amebaownd.com/
インスタグラム
https://www.instagram.com/noen_wagakushi?igsh=dHF3aW44c3dnN2Rl
Facebook
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投稿時点の情報、詳細はお店のSNS等確認ください。
<香取市への移住相談など>
香取市企画政策課 (電話 0478-50-1206)
https://www.city.katori.lg.jp/smph/government/plan_policy/ijuu_teijuu/index.html