鎌倉時代から800年以上続く伝統・山口の徳地手漉き和紙を継承

体験談

山口県山口市出身の千々松友之さんは、大阪府から山口市へ地域おこし協力隊としてUターン移住しました。移住を検討した際、山口市で地域おこし協力隊の募集を見つけ、その任務が徳治手漉き和紙の伝統継承だったこと、千々松さんのお父様が徳治手漉き和紙の工房を持っていたことなどが重なったと語ります。今後は和紙を漉く作業の他に、和紙商品の販路拡大、知名度向上を目指していきたいと話す千々松さんに移住と徳治手漉き和紙についてお話を伺いました。

山口へ移住したきっかけを教えてください。

千々松友之さん(以下、千々松)山口県山口市徳地出身でUターンしました。

工場の機械設備、ユーティリティ設備のメンテナンスの仕事をしていました。最初は防府市でその仕事を、その後大阪府泉南市で工業用ゴム製品メーカーで働いていました。

もともと将来的にいつか帰ってくるつもりでしたが、結婚して子供ができたタイミングで故郷に帰ることを決めました。決心したのは、自分が生まれ育った環境で、自分の子供も育って欲しいと思ったからです。

それと、両親とも年を取ってきて体調が良くないこともあり、田んぼの農作業などの重労働を自分がしないといけないのかな、と思うようになったこともありました。

徳地に帰ろうかと思っていた時に、ネットで山口市の地域おこし協力隊を見つけました。その任務が徳地和紙の伝統継承でした。

父が徳地手漉き和紙の工房を持つ山口市指定無形文化財なのですが、その技術と伝統を受け継いでいかなければ、という思いもありました。

工房で和紙を作る千々松友之さん

子供の頃、(和紙を)漉く以外は遊び半分でやった事がありました。徳地の冬はものすごく寒く外では遊べないんです。家の中で遊びながらできる和紙づくりの手伝いは、暖かいところで遊べるから好きでしたね。

和紙づくりは好きだけど、儲からないと親から聞いていたので副業的にやるのかな、と漠然と思っていました。師匠である父も本業は別にあって、副業として和紙漉きをやっていましたし。

和紙漉きは工程数が多く、それぞれが天候や頃合いを見なくてはならないので、放置はできず、ちょこちょこ様子を見たり、手をかけたりしなければならないという、つきっきりではないけれども放置はできない作業です。

例えば、材料になる楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)の木を蒸す作業なんかは、釜にお湯を沸かすのに1、2時間。蒸すのにもまた数時間。その間はつきっきりでいる必要はないんですが、様子を見る必要があるから遠出はできない。

だから、本業はある程度時間に融通の利く自営業が理想。地域の中で本業を持って、副業的に和紙漉きの技術と伝統を受け継いでいければ良いと思っています。

現在の状況と移住後の感想を教えてください。

和紙の原料となる楮を栽培する千々松友之さん

千々松和紙の原料になる 楮(こうぞ)と三椏(ミツマタ)の栽培から、半紙やレターセットなど、徳地和紙でできた製品作り、それら商品の販売先開拓をやっています。原料を確保するのが結構大変で、自生しているものを採りに行くよりも栽培するほうが効率は良いんです。

今は漉いている和紙の7〜8割の原料を栽培したものでまかなってます。

ただ、春先から夏場はほとんどつきっきりで畑の手入れをしなければならず、草刈りもひと仕事。それでも安定して原料を確保できるから、和紙づくり全体の効率を考えたら大変でもやらないとですね。

三椏の花

和紙漉きの技術はそれなりに身に付いてきたと感じているので、これからは販路拡大に取り組んでいきます。栽培の手間や、いくつもの工程とその全てが手作業であることを考えると、どうしても価格は上がってしまって、機械漉きの和紙とは価格で勝負できません。

だから、紙を売るというよりは工房に来て、紙漉きの作業を実際に見てもらって、その良さを体感した上で徳地手漉き和紙の価値を理解してもらうのが良いのではないかと思ってます。

地方への移住にあたり不安だったことは?実際はいかがでしたか?

千々松私は生まれ育ったところに帰ってきたので、特に不安はありませんでした。山口市の隣の防府市出身の奥さんは生活のこととか不安だったようですね。

実際に大阪から帰ってみて、病院まで時間がかかったり、不便なところももちろんあります。大阪だったら総合病院まで車で10分以内だったし、空港も海も近かったのが、徳地だとそうはいかないですし。

でも、だからと言って帰ってこなければ良かったとは思わないのは、やっぱり自分の生まれ育ったところだからです。住み慣れて安心して過ごせますし、寒さや草刈りも苦にはなりません。

大阪と徳地での暮らしで一番変わったと感じるのは、休日の過ごし方です。大阪だったらショッピングセンターに行ったりドライブをしたりしましたが、徳地では畑の手入れや草刈り、自治会や地域の催し事の準備なんかもよくあります。

徳地ではこういう集まりのことを、”集う”と言いますが、しょっちゅう集ってます。地域の消防団にも入ったからその活動もあるので、地域で過ごすことが多くなりました。

山口の魅力を教えてください。

千々松徳地は不便と思われがちですが、実はどこへ行くにも交通の便が良いんですよ。山口市内、防府市、周南市までどこも20分くらいで行ける。もちろん車です。

だから、意外かもしれませんが、山口市だけでなく、近隣の市で仕事を持っても通勤圏内なんです。それに、中国自動車道の徳地ICもあるから、遠出する時も便利ですし。

車での移動時間は、完全プライベート空間になっています。電車通勤では得られない、自分にとっては結構貴重な時間です。

徳地の人は、知っている人ばかりだしみんな親切。地域のことや畑のことなど、いろいろ教えてくれます。

大阪に住んでいた時も、泉南市は割と外から来ている人が多いせいか、お店の人なんかはよそから来た人たちに特に親切でした。だから大阪でも人づきあいで苦労したことはなかったですね。

友人と談笑する千々松友之さん

山口に住んで戸惑ったことはありましたか?

千々松自分は平気ですが、奥さんは冬の寒さが堪えるようです。防府と比べると2、3度低いですからね。あとはやっぱり病院です。それと買い物。一番近いスーパーまで5キロくらいあるので、車は必須です。

とは言っても、たいがい出かけた帰り道に寄るので、実際には困ることはありません。奥さんは防府の実家に帰ったついでに大型のショッピングセンターで買い物をして来ることもあります。

今後の展望をお聞かせください。

千々松ワークショップなどのイベントや原材料の栽培は、協力隊として一緒に活動している船瀬さんと一緒にやっていければ、と思っています。 徳地手漉き和紙をとにかく続けていくこと。

続けることで、今よりも知名度を上げていって、ゆくゆくは全国的にも知られてブランドとしての価値が上がっていることを目指しています。

和紙づくりの技術を上げるのはもちろんですが、そのほかに事業として継続していくには、財務やマーケティングの知識も必要になってきます。その辺りは商工会議所でやっている起業塾に参加しました。

協力隊になって1年目の時でしたね。起業に必要な知識を持った専門家たちが見てくれるので、事業計画書もしっかりしたものに練り上げることができました。

移住を考えている人・移住してきた人にアドバイスをお願いします。

千々松自分はUターンなので、その立場でしか言えませんが、帰って来たい気持ちがあるのならば帰って来て欲しい。縁のある土地なんだし、帰ってくれば自分自身も周りの人たちもなんとかしようと思うし、なんとかしていくもの。

楽観的でいて良いと思う。仕事が無いと言うけれど、20分くらい通勤するつもりがあればいろいろあります。もちろん、都会みたいな大きなビジネスチャンスは少ないでしょうが、仕事はありますよ。

人づきあいは、ちゃんと挨拶さえしていれば近所の人が何かあった時には助けてくれます。これはUターンの人に限らず、土地の人以外でも同じですね。

栽培する三椏

 

出典: 先輩移住者の声 千々松友之さん

山口県

山口市

yamaguchi

山口市は本州最西端の山口県のほぼ中央に位置する県庁所 在地。豊かな自然や歴史が共存する文化都市です。室町時代 に守護大名大内弘世が本拠としたことで発展し、その後の大 内義興・義隆の頃には「西の京」として栄華を極めました。ま た、幕末には日本海側の萩市から藩庁が山口市へ移され、明 治維新の中心的役割を果たします。幕末の志士や文化人も入 浴した湯田温泉、穏やかな瀬戸内海、豊かな山々…山口市に は歴史遺産や自然が数多く点在しています。

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