徳地和紙を海外へ発信したい・都心生活から山口市へ挑戦の移住!

体験談

福岡県生まれの船瀬春香さんは地域おこし協力隊として、東京都渋谷区から山口県山口市へ移住しました。もともと「ものづくり」に興味があった船瀬さんは、徳地和紙の伝統と技術の継承のために地域おこし協力隊に応募したと話します。退任後の現在は、和紙の材料であるこうぞ・ミツマタの原木の栽培をはじめ、徳地和紙の紙漉き、和紙製品開発に取り組んでいます。海外との仕事経験もあり、日本の伝統文化を海外に伝えていきたいと活動の幅を広げています。そんな船瀬さんに移住と、和紙への思いを伺いました。

いつ、どこから山口へ移住したのですか?

船瀬春香さん(以下、船瀬)出身地を答えるのが実は結構難しいのです。というのは、父親の仕事の関係で日本各地に住んだことがあるからです。

産まれたのは福岡ですが、母が出産のために実家に戻っただけで、自分は住んだことはありません。その後大阪、京都、神奈川、静岡などなど引っ越しを繰り返しました。

一番長く住んで、自分を育ててくれた街として愛着を持っているのが東京なので、出身(私の場合、心の故郷)は東京…ということにしています。小学生の時に過ごした京都も思い出深いですね。

山口に来る前は、東京でオフィスワークをしていました。民間企業と独立行政法人とで、海外に仕事で行く機会もありました。

徳地和紙を漉く作業をする船瀬春香さん

なぜ山口でこの仕事を始めたのですか?

船瀬ずっと『ものづくり』に憧れがあって、何か自分の手で美しいものを作り出すことができる仕事はないか、と思っていた時に、山口市の地域おこし協力隊で『徳地和紙の伝統と技術の継承』というのを見つけました。

それまでの仕事で、日本と海外を繋げることに携わっていたこともあり、日本の伝統文化を海外の人に伝えたいという気持ちがあって、その伝えるものを自分の中に持つことができるというのが大きなチャンスだと思い、応募しました。

『紙』そのものが素材として昔から好きだったということもあります。

開花直前のミツマタ

現在の状況と移住後の感想を教えてください。

船瀬和紙の材料になる楮(コウゾ)と三椏(ミツマタ)の原木の栽培から紙漉き、さらに和紙を使った製品の開発に取り組んでいます。

また、徳地和紙を知ってもらうためのPR活動として、イベントやお祭りに参加したり、地域の広報誌に一年間記事を投稿したりしています。他にも山口県立大学の実習を受け入れたり、海外からの観光客や学生への紙漉き体験プログラム、移住フェアでのワークショップ講師をすることもあります。

同じ任務でもう一人同時期に地域おこし協力隊として着任した同僚がいまして、彼は徳地出身のUターン。

地域での生活面から農作業まで、山村暮らしの基本をサポートしてもらったので、同僚がいなかったらもっと苦労していたと思います。一人ではなかなか辛いことでも、仲間がいるので頑張れることが多く、意見の相違はあっても感謝することの方が圧倒的に多いです。

 

地方への移住にあたり不安だったことは?実際はいかがでしたか?

船瀬引っ越してくる前は、東京でも本当に中心部の渋谷区に住んでいたので、都市生活から真逆の山村生活に変わって、戸惑うこともありました。気候の違い、特に寒さや虫が多かったり見たことがないようなものがいたりするのにも困りました。

あとは車の運転ですね。以前は完全なペーパードライバーでしたが、徳地では運転が必須です。

住むにあたっては、徳地の生活がどんな感じなのか、こちらに来るまでは想像もつかなかったというのが正直なところです。地域の皆さんに受け入れていただけるかどうかだけが少し不安でした。

実際に暮らし始めて、地域の方が温かく受け入れてくださったので安心しました。

一方で、和紙の原料の栽培、作業に必要な薪割り、釜で火をたくことやその道具自体が初めてのものばかりで、驚きと失敗の連続です。

満開のミツマタの花

山口の魅力を教えてください。

船瀬季節の変わり目のダイナミックさ。

『山が笑う』という言葉を初めて体感して理解しました。冬から春になる時に、山がものすごい臨場感を持ってどっと前にせり出してくるような感じです。生命力や、空気に滲み出てくる力強さは、ぜひここに来て感じて欲しいです。

稲や野菜、木の実などの食べ物が目の前でぐんぐん育つのを見ると、生きていく上での基本的な安心感を得られますし、『自然の豊かさ』という一言では表現できない、圧倒されるほどの大地の力を日々感じられます。

物も植物も、溢れ返る命が身近にある。この前までただの木の枝だったのに、いつの間にか緑になり花が咲いて、実がなって、それが地面に落ちる。

和紙作りも身の回りの自然も、メイキングプロセスが見られるし、肌で感じることができます。東京ではその中の完成した部分が商品として提供されているから、全体のサイクルが見えてなかったんだなと気がつきました。

便利な生活が当然で、電車が1分遅れても慌てたりイライラしたりしていたけれど、こちらでの農作業は全てお天気次第。自分ではどうにもできないことがほとんどなので、性格が多少おおらかになった気がします。

徳地で暮らし始めて2年半が経ちますが、東京では手に入るのが当たり前だと思って、特に意識していなかったことが、如何にそれに関わる人の努力や苦労があったかを考え、感謝するようになりました。お店の商品やレストランで食べるもの、多種多様なきめ細かいサービスなど、全て多くの人の手を経て存在している――自分がものづくりに取り組むようになって、そのことを強く感じるようになりました。

収穫したミツマタを抱える船瀬春香さん

山口に住んで戸惑ったことはありましたか?

船瀬都会より静かに違いないと思いきや、夏はカエルやセミの大合唱、秋には様々な種類の虫の声がものすごいです(笑)。

方言は特に分からなくて困るようなことはないですね。語尾や言葉の端々に”ちゃ”とか”ちょる”とかが入るので、とてもかわいらしいと思います。

気候的には、私が寒がりというのもあるのでしょうが、冬がとにかく寒いです。

その分、花が咲く春と紅葉の秋の美しさは大きいです。ひと月に一度は、周り近所の景色をしみじみ絶景だなぁと感じています。

以前の生活から180度違う世界だったので、最初は生活全般が驚きの連続でしたが、車の運転にさえ慣れてしまえば特に問題なく生活できます。季節の良い時期に運転するのは幸せですよ。

市内に目立たないけれどもおいしいパン屋さんや、インテリアの素敵なカフェを見付けた時に、大感激する自分にちょっとびっくりすることはありますね。東京を引きずってます(笑)

 

今後の展望をお聞かせください。

船瀬海外の方を対象にした和紙作り体験の場を提供していきたいと思っています。同僚と共に、海外のみならず、全般的な販路拡大にも取り組んでいて、活動の中で参加してきたさまざまなイベントやお祭をご縁に、工房にお問い合わせをいただいたり、繋がりが広がってきています。

2018年に山口市で開催される『山口ゆめ花博』にも何らかの形で参加して、より多くの方に徳地和紙を楽しんでいただきたいと思っています。

紙漉きももちろんですが、和紙を使った『触れて楽しい、選んで楽しい、使って楽しい』商品を開発したいとずっと思っていて、いろいろと試行錯誤を重ねてきました。これまで、御朱印帳、インテリアパネル、モビールなどを作ってみました。

今は花一輪用の手提げバッグを開発中です。これをワークショップで一緒に作ることができれば、参加者の皆さんに楽しんでいただけるのではないかな、と。

カラフルな徳地和紙を手に移住について話す船瀬春香さん

移住を考えている人・移住してきた人にアドバイスをお願いします。

船瀬人生の中でライフスタイルをがらりと変えて、新しいことに挑戦してみたい人にはお勧めしたいです。都市での生活が背景にあるからこそ、山村や地方の生活の良さや不便さが分かる。不便なことの良さにも気付きます。

逆に、都市の良さも再発見したり。自分の新しい一面に気付くこともありました。両方を知ることで、密度の濃い時間を過ごしているなと思っています。都市&山村生活で、人生二度おいしい!(笑)。

 

出典: 先輩移住者の声 船瀬春香さん

山口県

山口市

yamaguchi

山口市は本州最西端の山口県のほぼ中央に位置する県庁所 在地。豊かな自然や歴史が共存する文化都市です。室町時代 に守護大名大内弘世が本拠としたことで発展し、その後の大 内義興・義隆の頃には「西の京」として栄華を極めました。ま た、幕末には日本海側の萩市から藩庁が山口市へ移され、明 治維新の中心的役割を果たします。幕末の志士や文化人も入 浴した湯田温泉、穏やかな瀬戸内海、豊かな山々…山口市に は歴史遺産や自然が数多く点在しています。

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