移住者プロフィール
白山 洋光さん
移住時期
2012年
出身地:千葉県、前住所:島根県松江市、現住所:島根県奥出雲町
奥出雲町への移住に至った経緯を教えて下さい
白山洋光さん(以下、白山):私が生まれ育った場所は、千葉県の中でもそこまで自然環境が良いわけではありませんでした。それでも、子どもの頃には野山を駆け回ったり、囲炉裏のあるおじいちゃんの家に遊びに行ったりした思い出があります。そんな原体験もあって、都会で暮らす日々に窮屈さを感じていました。
また、飲食業に携わる中で、外食産業で提供される食の安全性に強い関心を持ち、安心できる食材を国内外問わず追求・研究するようになっていきました。そして、いつか納得のいく原材料を自分で栽培し、囲炉裏がある昔ながらの建物で食を提供したいと思うようになったのです。
それを、水と空気が綺麗なところで実現させたいという想いがあり、奥出雲町に辿り着きました。
古民家「田樂荘(だらくそう)」を拠点にした農泊について教えてください
白山:私達夫婦が暮らし、農泊施設としても活用している「田樂荘」は、築200年の囲炉裏つき古民家です。ここでは、私たちの育てた自然栽培のお米や野菜を中心に、安全性に最大限こだわった食材を使った調理体験を提供しています。さらに、希望があれば宿泊者には田んぼや畑での仕事を体験してもらうこともできます。
私は、田樂荘のことをあえて「農業」体験ではなく「農的生活」を体験できる場だと言うようにしています。田畑だけの収入で生計を立てようとすると、どうしても生産性を上げるために、環境に負荷のかかる肥料や農薬、機械などを使わざるを得なくなることもあります。
それらも否定すべきではありませんが、私たちは環境に負荷をかけず、自然から頂いた恵みで、最低限の生業をつくるスタイルを目指しています。例えば、自然栽培のため収穫量が少ない点は宿泊体験料など別の収入源で補います。その上で、お米や野菜は農泊のお客様に「食材」として提供することで、広く流通させるのと遜色ないぐらいの収入になるのです。
また、宿泊されたお客様と人間関係ができると、ありがたいことにリピーターになってくれたり、お米や野菜を定期的に注文してくれたりという繋がりにもなる。
単なる生産者と消費者の関係を超えた交流と、小さな循環型の経済が生まれるのです。もちろん、大前提として自分たちで食べる食材はできる限り自給しています。このような生き方を「農的生活」と位置づけており、その一端を、田樂荘宿泊された方に体験してほしいという想いがあります。
奥出雲町は世界農業遺産登録を目指しているので、農泊の役割も重要ですね
白山:そうですね、この件については色々な考え方があります。2019年2月、奥出雲町の「たたら製鉄に由来する奥出雲町の資源循環型農業」が日本農業遺産に認定されました。今後は、世界農業遺産認定を目指しているようですが、そのためには農泊の推進も必要性があるようです。
たまたま、私達も農泊を行っているということで、私のところにも関係者の方々や新しく農泊に取り組まれる方がお越しになることがあります。他県で既に世界農業遺産に認定されている事例にあるように、「オーガニック」というキーワードの元、有機農業・循環型農業や暮らしが問われているようです。
県や市町村を挙げて有機農業・循環型農業に取り組んでいく必要があるようですが、奥出雲町においても様々な課題があり、単純に推進することが難しい現状があるようです。
農業「遺産」としては、昔から取り組まれてきた奥出雲町の変わらない農業・文化・暮らしが守られていることが大事で、海外の方々もそういった様子が見たいと思って訪れるのではないでしょうか。
例えば、たたら製鉄で使う炭を確保するために山林を伐採し、その伐採跡地では焼き畑をして蕎麦を栽培したり、山草を刈り、牛に与えた糞を堆肥にして米を育てたり。
そんな循環型の農業が実践されていれば、世界的にも大変価値のあることだと思います。現在そのような取り組みは、日本全国を見ても稀ですよね。また、農泊についても現代的な暮らしや農業を体験してもらうだけでは、世界農業遺産を謳う農泊は難しいのではないでしょうか。
理想としては、農家さん自身が環境と循環した有機農業などに取り組んでいて、それらを食や体験を通じて感じられる場が求められているように思います。
一方で、奥出雲町が世界農業遺産を目指すことは、私達も含め、地域に暮らす皆がオーガニックや環境問題への関心を高める機会にもなるので、喜ばしいことだと考えています。これらを踏まえて、私たちはこれからも小さくオーガニックな農的暮らしを淡々と続けていきたいと思います。
<後編へ続く>
* ワープシティ編集部が、記事の内容を一部編集しております。