移住者プロフィール
コガワ 健太さん
移住時期
2020年
出身地:青森県青森市 、前住所:東京都、現住所:長崎県壱岐市、職業:画家
目次
INDEX
旅で訪れた壱岐。島民の人柄に触れて移住を決意
移住する前は、東京の企業でアプリの画面設計を行うデザイナーとして働きながら、ペン画家として活動していたコガワ健太さん。将来的には、東京より環境の良い場所に移住し、創作に集中したいと考えていた。40代、50代くらいになったら少しずつ拠点を移して移住を…と、漠然と思い描いていたときに、旅行で訪れたのが長崎県壱岐市だった。
「ご飯が美味しくて、お酒が有名(麦焼酎発祥の地)で、自然も豊かで、『こういう場所なら移住してもいいね』と、旅行の帰りに一緒に行った妻と話しをしました。まだ先のつもりでしたが、いつの間にかお互いの中で移住が現実味を帯びていって。当初の予定よりかなり前倒しするかたちで、仕事にキリをつけ、旅行の一年後くらいには移住することを決めていました」
コガワ健太さんと妻の望さん。壱岐の小島神社で撮影
壱岐市は九州北部の玄海灘沖に浮かぶ離島で、博多から船で1時間ほどの場所にある。その歴史は古く、日本の『古事記』には国生みの神話で五番目に生まれた島として登場し、中国の歴史書『魏志倭人伝』でもその存在が伝えられている。
神々の島とも呼ばれ、島内には住吉神社や小島神社など150社以上の由緒ある神社をはじめ、280基にも及ぶ古墳、遺跡など、歴史的な文化遺産が数多く現存する。場所によってコバルトブルーやエメラルドグリーンに色が変わる美しい海、天然の白砂のビーチなど豊かな自然に恵まれ、地震などの自然災害も少ない。
壱岐の魅力はたくさんあるが、コガワさんが最終的に移住を決める後押しとなったのは、壱岐の人たちの人柄の良さに触れたことだった。
「旅行に行ったとき、充電式の電動バイクをレンタルして島を周ったんです。充電が少なくなるたびに、『電気を貸してくれませんか?』と島の人にお願いしたんですが、みなさん快く応じてくださいました。道に迷ったときも、通行人に話しかけると親切に教えてもらって。壱岐の人たちの優しさを肌身で感じて、『ここなら住める』と思いました」
離島ならではの移住の苦労も経験
しかし、移住については知らないことだらけ。補助金制度やお試し移住についてインターネットで調べたり、東京での相談会などを積極的に利用しながら、計画を進めていった。
折しも2020年の春は新型コロナウイルスが流行り始めた時期。東京から長崎までの長距離の移動は憚られ、思うように動けない中での移住となった。家は内覧なしで決めざるをえず、島の暮らしに欠かせない車の購入にも苦労したという。
「引っ越しも全部自分たちでやったんですが、当時は離島に対応している業者があまりなくて。大きい荷物は処分して、必要なものだけを自分たちで梱包して個別に配送する必要がありました。荷札を30~40枚くらい書いたのは、かなり骨の折れる作業でしたね…」
都会とは異なるコミュニティの広がりを実感
さまざまな苦労を経験しながらも、壱岐での移住生活が始まった。今は、毎朝7時くらいに起床し、午前中に絵を描く仕事をすることが多いという。島では車での移動が基本で、体を動かす機会が少ないため意識的に運動もするようにしている。休みの日には、釣りに出かけることもある。アジがよく釣れるそうで、釣れた魚はその日の晩の食卓に並ぶ。
旅行のときに抱いた印象の通り、実際に暮らし始めてからも人付き合いには恵まれた。隣に住む人の顔も知らないような都会の暮らしとは違う、地域コミュニティのあり方を実感した。
「移住してすぐにご近所さんが声をかけてくれて、釣ったままのブリをまるごと一匹お裾分けしてくれました。もともと人付き合いが苦にならない性格なので、公民館や青年会の活動にも積極的に参加するようにして、自分からも付き合いを広げていきました。妻が地域おこし協力隊に参加しているので、そのつながりでバーベキューに誘っていただいたり、二人ともお酒を飲むのが好きなので、お酒の席にも顔を出すようにしていたら、どんどんつながりが増えていきましたね」
壱岐の人は新しいものへのアンテナが鋭く、移住してすぐにSNSのプロフィールを「壱岐在住」に変更したところ、地元のケーブルテレビやローカル紙の新聞社から声がかかり、「壱岐に面白い人が来た!」と取材を受けた。自営業の人が多いため、社長職や経営者と話す機会が増えたことも、幸運を招き寄せた。
お酒の席などで絵を描いてることを話すと興味を持ってもらえることが多く、実際に仕事に結びつく確率も高いという。今では、チラシやポスター、お土産のロゴやパッケージデザインといったデザインの仕事も引き受けている。
お店の依頼で描いた絵。壱岐のクラフトビールメーカー 「ISLAND BREWERY」の店主・原田知征さんと
「もともとペン画の創作をメインに活動していましたが、壱岐に来てからは、『壁に絵を描いてほしい』、『看板を描いてほしい』といったオファーをいただくようになって、色のついた作品も描くようになりました。
通っている歯医者さんのガレージの壁に『子供たちが喜ぶ絵を描いてほしい』という依頼もありましたね。ペンキなどの新たな画材を取り入れて、ペン画とうまくコラボレーションできないかも実験中です」
色とりどりの生き物が賑やかに描かれたガレージ
絵のモチーフは夢の中に現れることが多い
コガワさんが絵を描き始めたのは2、3歳くらいのとき。それ以来、ペンを手放したことは一度もなかった。スポーツは苦手で、野球をしても球を打ったらどの方向に走ればいいのかわからないほど。その反面、一度目にしたものを立体的に捉える力は優れていて、動物園でカバを見たら、頭のなかでそれを3D化し、ぐるぐる回しながら絵を描くことができた。
専門学校を卒業後、会社員として働いているときに、友人に誘われて参加したグループ展で入賞を果たし、一年後に初めて個展を開催。そこからライブペイントなどのアーティスト活動を始め、少しずつ実績を積んでいく中で、パリやモナコなど海外での活動にもつながっていった。
ペン画を描く様子。ひとつひとつのモチーフが緻密に描き込まれる
コガワさんの描くペン画は、細部にわたって緻密に描かれた多様なモチーフが、まるでひとつの生命体をかたちづくるようにダイナミックに広がっていく様子が印象的だ。こうした絵の着想は、夢から得ることが多いという。
寝るときは枕もとにノートを置いておき、夜中に目を覚ますと夢で見たことを書きとめる。朝起きたらノートを見直して、キャンバスに表現していく。
「モチーフには、昆虫やくじら、恐竜などの生き物を描くことが多いです。昔から、動物のテレビ番組を見るのが好きでした。図書館にもよく連れて行ってもらったので、図鑑を読み込んでは描き写したりもしていました。そういった、小さいころからインプットされてきたものが、夢の中のフォーマットにぶわっと現れる感じですね」
完成したペン画の全体像
「中心のない世界」、その原点は小学生のときの経験
コガワさんは、自身の作品を「中心のない世界」と表現する。描いていると結果的にそうなるのだそうだ。考えてみるとそれは、小学生の頃の経験が関係しているかもしれないという。力が強いわけでも足が速いわけでもなく、弁がたつわけでもなかったコガワさんは、かつていじめを受けたことがあった。
「いじめられないためには、『みんなと友だちになればいい』と考えるようになりました。小学生の頃はいじめられっこからヤンキー、ガリ勉の人まで、男女隔たりなく仲良くなりました。そこではみんなが平等でした。誰がリーダーなのかとかそういうのはあくまでも個性であって、それがすべてじゃないんですよね」
当時、言葉にはならなくても自分の中にあったそうした思いが、絵にアウトプットしたときに「無中心」というかたちで現れているのではないか。コガワさんはそう分析する。
コガワさんが描く「無中心」の世界
「自分は絵と対話することが多いんですね。自分が描いた絵は『こう言ってるんじゃないか』と逆に教えられるみたいなことがある。描いてる最中は理屈的なことは何も考えていなくて、描いたものを見て『自分はこんなふうに考えていたのか』と気づかされることが多いんです。なので、作品を描いたあとに、そこに現れた考えや思いを言語化するところまでが、画家の仕事だと思っています」
大きいものが小さく、小さいものが大きく見える
コガワさんの絵でもうひとつ特徴的なのは、巨大な昆虫や瓶の中の飛行機など、現実とは必ずしも一致しないモノの関係性が描かれているところだ。コガワさんは日常生活の中でも、モノの大小感が不正確になることがあって、蟻なのにすごく大きく感じたり、タイヤがすごく小さく見えたりするという。
「普通なら、『大きいものは大きく描く』という無意識のルールがあると思うんですけど、自分にはそれがなくて。人と比べて、物理的な大小感を正確に捉えられないから、モノの優先順位みたいなものも自然となくなっていくんです」
一般的な大きさの観念に縛られないコガワさんの作品
絵を描いているときはゾーンに入っていて、つねに全体を見ながら部分にもフォーカスしている状態だという。絵を描く前に、キャンバス全体を手で触りながらその大きさを頭にインプットし、その中に自分が入り込むようにして描いていく。
「一カ所を起点に広がるように描くのではなくて、絵の呼びかけに身を任せるようにして、あちこち飛び回るような感じで描いていきます。それは、将棋で次にどこに駒を置こうかと考えるような感覚と似ているかもしれません。どこに何を描けばいいのかがわかる。すごく不思議なんですが、バラバラに描いていたはずのものが、最終的に仕上がると、ひとつのまとまりへと調和されていくんです」
話を伺って、改めてコガワさんの作品を見ると、生物も無生物もあらゆるものが優先順位をつけられることなく、思い思いの場所や大きさ、あるいは小ささで存在することを楽しんでいるようにも感じられる。まさに「中心のない世界」だからこそ、可能なことなのだろう。
コガワさんに描かれる生き物はどこか楽しそうにも見える
古民家を改修中。子供たちに絵を教えるスペースをつくりたい
壱岐での今後のことを伺うと、自身の創作活動だけでなく、子供たちに絵を描くきっかけを作る取り組みにも力を入れたいと話してくれた。
「壱岐は、都会と比べて自然の色のグラデーションが綺麗で、どこを見ても何かしらの色が美しくあります。こんなに環境が良く、色の豊かな場所で育っているから、壱岐の子供たちの色彩感覚はすごいんです。それを伸ばさないのはもったいないと思います」
白い塗料を塗ったピアノに施したペイント。壱岐に来てから色を多用した作品が増えた
学校ではスポーツをやっている子供が目立ち、成功体験も比較的積みやすい。一方で、文系の子供たちに光が当たる機会が少ないのが気になっているという。
「私はたまたま絵が描けて、親がそれを否定せずに後押ししてくれたので今があります。でも、『絵が描けるだけじゃ仕事にならないでしょ』って、多くの親は言うと思うんですね。そんな時に、私みたいな長髪のひげのおっちゃんがふらふらやりながら、仕事として絵を描いていることを知ったら、子供の考え方や見かたは変わるんじゃないかと思うんです。
実際、私のワークショップに親子で参加した男の子が絵にとても興味を持ってくれました。お母さんも『この子にこんな才能があったなんて』と驚いていて。それで、男の子の夢が画家になったのがすごく嬉しかったんです」
ワークショップで子供たちに絵を教える様子
コガワさんは最近、築60~70年の古民家を購入した。空き家期間が長く、すぐ住める状態ではないため、一年くらいかけて少しずつ手を入れて改修していく予定だ。ゆくゆくはその場所をシェアアトリエのようにして開放し、ワークショップや絵画教室を開きたいと考えている。
「今、島に画材屋さんがないので、気軽に画材に触れることができる場所にもしていけたらと思っています。妻と一緒に『ついで』というフォト&デザインのユニットをやっているので、二人で協力しながら、壱岐自体をもっと盛り上げていきたいですね」
壱岐を拠点にして九州やアジアへの展開も視野に
青森で生まれ、宮城、京都、大阪、東京、海外まで、さまざまな土地を転々としながら生活してきたコガワさん。住む場所を定期的に変えてきたのは、どこの土地でもだいたい2、3年経つと飽きてしまうからだという。
30歳手前でオーストラリアにも滞在。路上で絵を描き、投げ銭をもらうひとつのチャレンジだった
壱岐に移住して2年。この先も壱岐に定住する予定か尋ねると、返ってきた答えは「イエス」。しかし、コガワさんが考える「定住」は、ひとつの場所に腰を落ち着けるのとは少し違う方法のようだ。
「土地にしても、仕事にしても、ひとつの状態に留まれないのが私の性分なんだと思うんです。だから、もしかしたら今後、福岡に出ることもあるかもしれないし、地元の青森に一旦戻ることもあるかもしれない。韓国や台湾に行って、絵のチャレンジもしたい。
ですが、拠点としては壱岐がいいなと思っています。壱岐はもともと、九州からアジア大陸までの移動の中継地点として使われていた島で、『これから大陸に行くぞ』という意味の『行き』の島という語源があるそうです。まさに、土地同士を繋ぎ合わせるハブのような役割を果たす場所。それが、自分にはすごく合ってるんじゃないかと感じています」
壱岐の移住に向いているのは、挑戦を楽しめる人
最後に、壱岐に移住を考えている人に向けてメッセージをいただいた。
壱岐と博多を結ぶ船の上に立つコガワさん
「福岡まで船で1時間くらいで行けて、奥まっているわけでもなく、ほどよい閉塞感もあるのが壱岐の良いところです。都会と違って創作面の環境が整っているわけではありませんが、挑戦を楽しめる気概があれば、クリエイティブな活動がしたい人には向いている場所だと思います。
とはいえ、移住しやすい環境はどんどん整ってきています。今度、新しくコワーキングスペースが3カ所くらいできるんですよ。
何もないところを自分自身で掘り起こしていくのが移住の醍醐味でもあるので、あらかじめ整備された環境に移るより、自分で開拓したいという人は、なるべく早めに移住を考えたほうが良いかもしれません。いきなりまるごと移住するのは荷が重いようなら、ワンシーズンだけ住んでみるとか、そういう気軽な移住の仕方もありだと思いますよ」
近年、クリエイティブな活動の場を広げたり、質の向上を目指したりして地方移住を考えるクリエイターが増えている。「暮らしやすさ」は移住を考える上で重要なポイントだが、地方ならではの「不便さ」や、環境が十分ではない「不完全さ」も、新しいアイデアや作品を生みだす豊かな土壌となり得るだろう。
都会とは異なる複雑性の中に身を置き、マイナスに捉えられがちな要素にも楽しみを見い出すことで、得られるものがあるという示唆を、コガワさんは与えてくれた。